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『石田のはなし』の石田祐希さんに関して私が思ったこと。

書くかどうか、というより公開するかどうか迷いましたが…自分への覚書という意味を込めて、まずは筆を執ることにしました。2016年末頃だったでしょうか、大学を中退して起業するという内容で世間に注目された方がいました。石田 祐希さんです。彼に対して何か言いたい訳ではなく、この出来事を知って私が思ったことを書きたいと思います。

単純に大学選びが良くなかったのではないか。

石田さんは、大学生活や周りの友人に対して少なからず不満を抱いていたようです。この気持ちにはいささか共感出来ました。と言うのも、私が名古屋に移り住んだ2012年、あまりに凡庸で毒気の無い名古屋の大学生達を目の当たりにして大変驚いたからです。彼がもし、それこそ早稲田大学や明治大学など、刺激と連帯が適度に融合した場所で大学生活をスタートしていたならば、中退という選択肢を敢えて選ばなかった可能性もなくはないかな、と思いました。

名古屋のこと。

上の段で少し悪い言い方をしてしまいましたが、これには続きがあるのです。確かに2012年当初、私が名古屋の文化に大変ショックを受け、それはアイデンティティにひびを入れる程の衝撃だったことは事実です。ですが、私はそこから何とか自分を立て直す為に、名古屋や愛知のことを色々と調べ始めました。結論として、私は、東京・大阪・名古屋という、この流れでの思考をまず捨てることにしました。名古屋を都会として評価することは現時点では難しいことです。しかし、地方政治として考えた時、これほど成功している県・市も珍しいのです。私はこの点に気付いた時、初めて名古屋に対して敬意を持つことが出来ました。凡庸に見えた学生達も、地域を愛し、地域に貢献しようという思いを持った市民を育てる上では大変重要で必要な現象なのです。その地域から出ていかない、出ていきたくない、出ていく必要がないと人々に感じさせる為に必要な要因とは何でしょうか。それはまず安全、帰属意識、自分史、職業、経済、娯楽。恐ろしいことに名古屋にはこれらがすべて意図的に配置されています。挑戦意欲さえ持たなければ、生存意欲は十分に満たせる、それが名古屋なのです。

大学生活について。

正直に言いますと、私も学生生活に躓いた内の一人です。早大に関しては中退も常に考えていました。あそこは応用学問が大半なので、やり方を間違えると自分の軸がどこにあるのか分からなくなってしまう嫌いがあります。ただ、今になって実感していることは、大学生活は個々人によって意味が大きく違うということです。前述の凡庸に見えた(失礼)学生達も、将来の地域社会に貢献することや、身近な仲間との愉快な交流、果てはこの地で家庭を持つことを見据えた上での選択かもしれませんし、刺激が少ない分、目の前の勉強に集中して取り組めるメリットがあると思います。実際私も、名古屋に来てからは仏検2級に合格したりと、規定路線のある勉強には東京時代よりも遥かに集中して取り組むことが出来ました。資格や就職、出会いなど、その先に思う所あっての選択としての大学は、時空間を共にする場所ではあっても心の中はかなりの多様性がある場所だと思います。

まとめ Summary

ネット社会がこれ程発達した時代に多感な時期を過ごす若者はきっと大変だろうと思うことがあります。もし今の時代に10代20代を過ごしていたらと考えると、私の場合はメリットよりもデメリットの方が大きかったのではないかと、そんな恐れを感じることもあります。嗅覚と感性を鍛え信じることは、人として生きる上で大切なことです。それは能動的にならなければ出来ないことだとも思います。環境によってそれがし易いし難いというのはあると思いますが、本当に優秀な人はその環境さえも自分で作ることが出来る人達なのでしょう。私はその点に自分の弱点を感じていますので、今後留意していきたいと思っています。

■石田 祐希さんのBlog http://www.ishidanohanashi.com

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Posted by 美月


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