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第2回/スコラカントラム音楽院でのレッスン記

今日は先生との初めてのレッスンでした。
(先々週は、当初学長先生に紹介して頂いた先生のレッスン、というより顔合わせ?でした。)

今日はフランスで音楽を学ぶための第一歩ともなる大切な日でしたが、フランスに来て本当に良かったと心から思いました。
あのまま日本にいたら、闇雲に傷ついて、一生抜けられないトンネルを彷徨い続けていたでしょう。

クラシック界には、本当に色んな人がいるのだと、最近は思うようになりました。
日本には、先生の仰ることは絶対で、それを疑うような気持ちを持つことは許されない、完全なる縦社会の気風があり、生徒はそれらに隅々まで支配されています。私はこの気風に対する感受性が強いのか、上手く受け流すことも消化することも出来ず、「受け入れられない自分が悪い」という抑圧を持ち続け、自分を責め続けてきてました。ですが、音楽界には色んな人がいて、何を信じるかは自分で決めて良いし、それぞれがそれぞれに良いと思うものを信じていけば良いのだと思いました。著名な演奏家ですら曲の解釈は分かれます。誰かにおかしいと言われても、そういう意見があるというだけで、それが絶対という意味ではなかったのだと思います。たった一つの「正解」を探そうとするのは辞めようという考えが、フランスに来て徐々に身体に馴染んできました。

私は今まで、音楽はテクニックと情熱だと考えていました。技術を磨くためにエチュードにも沢山手を出してきました。しかし私がやっていたことはテクニックというよりもメカニックだったのです。私が今、先生の下で学んでいるのはメカニックでもテクニックでもなく、音作りです。こんな大事なことにどうして気付かないまま過ごしてきてしまったのか。文学も同じ、文法と構想だけでは物語を紡げません。文章の滑らかさ、流麗さ、構成の良さ、こうしたものこそが文字を文学へ昇華させ得るというのに。メカニックが音作りを育てるのではなく、音作りの努力がテクニックを育てます。そしてそのテクニックとは、指ではなく耳なのです。

日本はボーカロイドが流行するくらいですから、機械的な拍の意識が、メロディーの本来持っている性質よりも重視される傾向にあります。(この拍の意識は、日本や韓国など、特にアジア人ピアニストに共通して言えることのようです。)1拍目と3拍目を強く、というのは日本で当たり前のように指導されていることだと思います。確かに間違いではありませんが、それが旋律を殺すほどの縦の縛りになるとクラシック音楽ではなくなりロックになります。拍は心の中で鳴っている必要はありますが、旋律の上に圧し掛かるほど過剰になってはいけないと学びました。

誰に師事するかというのは、これまで私が思っていた以上に大切なことだと思いました。誰に習っても私なんて同じ、という卑屈な考えに囚われていたのです。でもそれは間違いでした。今、日本で自分自身にこうした思いを少しでも持っている人にこそ、フランス留学を勧めたいです。縦に高く積み上げた人だけが留学する時代ではなくなりつつあります、横に平たく色んな物を積んでいる人にも留学で学べることが沢山あるし、その権利もあります。

それではまた、レッスン日記でお会いしましょう。

【本日のレッスン曲】Beethoven ピアノソナタ第21番 第1楽章 Op.53 (ワルトシュタイン)

レッスン日記3はこちら

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Posted by 美月


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