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家族で楽しいフランスの人形劇。愛すべきguignolギニョルとは?/子どもと一緒にパリ観光

フランス人なら誰もが知っているというguignol/ギニョル氏。彼は人形劇の主人公で、黒い帽子に首のリボン、後ろに結んだ三つ編の髪が特徴だ。既存の様々なお話に登場しては悪と戦い、善きを助け、原作にはいないはずの人物でありながら実に生き生きとその存在感を放つ。夢の世界を縦横無尽に駆け巡る存在だ。

フランスでギニョルに会うということは長年の夢の一つだった。いやむしろ、私のフランスのイメージはギニョルのそれと表裏一体と言ってもいい。私はそれ程までに、この人物に多大な関心を寄せていた。私にとって心のフランスとは、哀愁、悲哀、シュールでありながら愛らしさを失わない、或る時はシャンソンの持つイメージ、また或る時はアコーディオンの音色とも重なる類のものだ。初めてフランスの童謡を聴いた時、その余りにも不自然なメロディに耳を奪われた。決して子供が歌い易い訳でもなく、感情を昂らせる性質もない、ただ坦々と、脈絡もなく続いていく不思議なメロディ。優しく、愉快で、一抹の不安と恐怖を内包する、奇妙で愛すべきメロディ。フランスという国の感性の、原点と神髄が、揺ら揺らと目の前に見えたように感じたのだった。ギニョルにもまた、同じ性質の魅力を感じていた。木彫りの黒い瞳の中に眠っているはずの答え。彼は何かを知っている。そんな気がしてならなかった。

ショーの幕開け Beginning of the show

guignol Parc Montsouris
Parc MontSouris, 2 Rue Gazan, 75014 Paris
上演時間
水曜/16:00 土曜/16:00,17:00
日曜/11:00,16:00,17:00
料金/4.5€


日曜、夕方5時の回を目指して、私はParc Montsouris/モンスリ公園へ向かった。
公園の隅にある小さな劇場の前には既に行列が出来ていた。
案じてはいたことだが、列は家族連ればかり。大人はみな父・母・祖父・祖母、いづれかの肩書を既に持っている人達だった。
私はと言えば、そのいづれでもない上に、フランス人ですらない。自分がひどく場違いなように思えた。

誰かを待っているような素振りを時折見せながら、なるべく怪しまれぬよう、ニコニコと笑顔を作りながら少しづつ列を前進する。前にいた人達が一人また一人と劇場の扉の中に吸い込まれ、遂に私の番になると、やや太めの体格の良いおじさんがguichet/ギシェ,チケット窓口の中に現れた。小声で「大人一枚」と言う私を、役者さながらの笑顔で迎え、金色の毛むくじゃらの手で、大きなguignol/ギニョルの写真がついたポストカードと小さなチケットをくれた。どうやら門前払いだけは避けられたようだ。そう言えばフランス語にも「門前払い」なんて言葉はあるのだろうか、そんなことを考えていた。

いよいよ中へ Meet the guignol

赤色の光に包まれた劇場の中には、ここで遊びここを去った全ての子供たちの笑い声が音を無くしたまま蓄積されているように感じた。無邪気な空気が私の全身をくすぐっていく。ただそれだけのことが私を感動させていた。

家族らは皆思い思いの席へ座り、主役であるguignol/ギニョルの登場を待っていた。元気な子供たちは子供専用の前方席へと駆け出していった。

私が見たもの What I watched


guignol/ギニョルの誕生は18世紀末、南フランスのリヨンで興った。元はイタリアから来ていた商売人の指人形が始まりで、労働者のための社会風刺をメインに据えた大人向けの娯楽として長く栄えたと言う。この歴史は私を頷かせた。と言うのも、確かに今はもう子供向けという趣旨に転じてしまったが、guignol/ギニョルは今尚、風刺のスピリットを忘れていないと感じたからだ。彼は子供達を優しい出で立ちで迎えつつも、気の利いた言葉とセンスの良い動きで劇を支配し、子供向けの枠の中には納まり切らない程の知性を放っていた。彼は人形でもなければ、夢の住人でもない。歴史と現実を生きてきた一人の大人だったのだ。200年を越える歳月を通して彼が出会った大人達の声なき声が、彼の体の中に消えることなく刻まれている。それはストーリを生きる彼自身の大切なストーリーなのだ。フランスという壮大なシュールレアリスムの中を、これからも彼は生き抜いていってくれるだろう。


退場口が開くと係員の女性がお見送りの挨拶をしていた。彼女は、大人一人だけのアジア女性である私に多少の戸惑いを覚えているようだった。私は「Merci Beaucoup!」と心からのお礼を言い、劇場を後にした。

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Posted by 美月


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