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秋田からタニタ食堂が撤退する話とか。

10年ぶりに故郷に帰って。
見たことのない、新しい施設(アーデ・ベービューティーモール?秋田美人を体験する施設らしい。)が駅至近に出来ていたりして。
その中で見つけたタニタ食堂。

飛行機に乗って夕方に秋田入りしたから、街に着く頃には真っ暗で、当然タニタも閉まってて、でも一押しメニューの紙くらいは店前に張り出されてて、格子越しに客席も見えた。
「流行ってるのかなぁ…」
朝になって日の光が入って、店が開いて店員さんが動きはじめても、なんとなくそんなに賑わってないような想像と空気感が胸をよぎった。

それから程なくして、小耳にはさんだ閉店のお知らせ。
「やっぱりなぁ…なんだかなぁ…」

食に求めるエンターテイメント性


娯楽や遊び場の少ない秋田、かつ根は真面目で日常から我慢しがちな秋田人にとって、
食は大きな楽しみ、自由を感じられる代えがたい場なんだと思う。
そこを管理されて矯正されるような気風はうけなかったんじゃないかと。

確かにガン罹患率は国内トップクラスだし、
一般的に考えて「きっと改善したいと思っているはず!」となるのも無理はないけど、
マーケティングや数値にはあがってこない、彼らの思い、文化、風習が勝ってしまった。

性格特性

根は真面目な彼らの価値観からすると、「積み重ね」は大きな信用材料になる。
秋田の食文化を学ぼうと県内を回ったり、現地の人と触れ合ったり、
時間もお金もかけて懐に飛び込もうとする姿勢のある外部者は好まれるし、次第に受け入れられる。

今回のように、出来れば目をつむっていたい秋田の抱える問題に触れてしまったうえ、秋田色に染まるどころか、タニタ色に住民側が染まるようなスタイルでは、彼らの食指を動かせなかったのかもしれない。

また、秋田美人を作るのは秋田の風土と食事であり、タニタの健康食ではないはずというプライドも事態に影響したのかと。

農業県という大きな背景


農業県の秋田から工業県の愛知に移り住んで、価値観や生き方の違いは折々で感じる。
自然の下に人間がいて恵をいただく価値観と、自然の上に人間が立ち恵を産出する価値観。
年長者の経験が生きる農業と、若者のエネルギーが要となる工業。
自然の音を聞き逃さぬよう小声に、機械音に負けず用件が届くよう大声に。
など、挙げようと思えばたくさん見つかる。

ただ、秋田が独特だなと思うのは、
外にみせたい姿(愛らしい秋田犬、自然の美しさ、食文化、秋田美人など)と生活者の内情が乖離していることだ。
それは秋田こまちの白い輝きの裏で、実際には地道な積み重ねと農作業の泥臭さが息をひそめていることにも似ている。

彼らは、見せたい自分と見せない自分の二面性を生きているのだろう。
それは決して嘘をついているのではなく、土地に根付いた価値観がそうさせる。
しかしその価値観の列車にブレーキがなく、頑固さや偏屈さ、プライドの高さへと走りすぎているとしたら悲しいことだとも時折思う。

まとめ

タニタ食堂の件に関しては、「見えている秋田」と「見えていない秋田」の間にある溝、秋田に関わりのある人でなければ中々分からない空気感を浮き彫りにするようなエピソードだと感じた。今のところ、秋田の地に好んで受け入れられるのは、お洒落で見栄えがよく、かつ娯楽性の高いものに限られるのかもしれない。

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Posted by 美月


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